N.A.O|ナオ 一級建築士事務所
257 0015 神奈川県秦野市平沢
アクセス 小田急線/秦野駅から徒歩15分程
駐車施設 1~2台程
事務所兼自邸のため
プライバシー保護の観点から非公開としております
詳細についてはお問い合わせください
TEL 0463 86 6940
FAX 0463 86 6941
MAIL info@n-archi-o.com
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最近「0と100の間を考える」ということを意識していますし、よく口にするようになりました。
もともと自分自身、かなり0か100かで考える人間で、妻に「あなたは100階建てのビルの外からぴょんぴょんジャンプして屋上を目指している。視野を広げて周りを見て。階段があるでしょ? 一段ずつ上って屋上を目指そう?」と言われたこともあるくらいです。
もちろん、0か100かで考え、極端に振り切ってきたことで得たものも多くありますし、自分を形成する要素になったのも事実です。ただ、最近はやはり、0か100かで考えることは、なかなか生きづらいことでもあるなと感じるようになりました。何かを「やる・やらない」と決めるだけではなく、やるにしてもどこまでやるのか。こうなったらやめる、というルールをつくるのか。やらないにしても、別の方法でやるのか。その間には、いろいろな選択肢があります。
そういう意識を持つことが、自分にも、設計にも、育児にも効いてくると感じています。
長男は、少し私と似ていて、0か100かで考えがちなところがあると感じるので「0か100じゃないんだよ」と昔からよく伝えています。最近も夜遅くにサッカーから帰ってきた長男がバッグや道具をそのままにしていたので「片付けなさい」と伝えたら「なんでも今すぐにやりなさいって言わないで」と言われ、少し口論になりました。
その際も、パパが正しくて、長男くんが間違っている、という話でもないし。今すぐ全部を片付けなくても、疲れているならここまでは今やって、残りは朝にやるとか、パパが手伝うとかもあるだろうし。やる・やらないだけではなくて、お互いの気持ちや理由を聞くことも必要だっただろうし。行動や方法、伝え方にも間があって、お互いにそこを話し合えばよかったんじゃないか、という話をしたばかりです。
後日、私が三男を「かわいいね」と言って愛でていたら、三男がふざけて「パパやめてよ〜」と言ってきたのに対して、冗談で「じゃあ、かわいくないって言ってほしいのか!」と私が返したら、横で見ていた長男に「パパ。0か100じゃないんだよ?」と言われたので、多少は意味が伝わっているのかなと思います。
設計にも近いところにあると思っています。
お施主さんに「これはできますか、できませんか」と聞かれることがあります。でも実際には、できる・できないの判断だけではないことが多いと感じます。全部の面積では難しくても、半分ならできるかもしれない。この作り方では難しくても、別の作り方ならできるかもしれない。なぜそれをしたいのか、理由を聞いていくと、違うカタチで実現できるかもしれない。設計は、そういう「間」を見つけていく作業でもあると思っています。
私の住宅設計の考え方としても、どこまでつくるか、どこを保留にするか、どこまで決めるか、と「間」を考える作業が比較的多いため、相性の良い考え方な気もしています。自邸の加藤小屋についても、最近それに近いことに考えを巡らせました。
もともとは、5年に1回、500万円をかけて増築していくことを想定していましたが、1年に100万円でもよいかもしれませんし、1か月に10万円でもよいかもしれません。増築なのか、改築なのか、DIYなのか。建築なのか、外構なのか、外構以上建築未満のような半建築的なものなのか。既存棟とつなげるのか、分棟なのか。住宅なのか、事務所なのか、店舗なのか。
そう考えていくと「0と100の間を考える」という作業は、直線的なものではなく、多くのパラメーターがあり、音響ミキサーのような考え方にも思えます。どのつまみを回すのか。どれくらい回すのか。組み合わせてどのような音にするのか。それをどれくらいの音量で出すのか。いくつものつまみを少しずつ調整しながら、全体のバランスを見極めていく作業や思考なのかもしれません
ただ、不安については、少し違うようにも感じています。
私は心配性なところがあり「起こってから考えればいい」「心配ばかりしているともったいなかったと後悔する」などと諭されることもあるのですが、頭ではわかっていても、すぐにそう思えるかといわれると、なかなかそうはいきません。
どうしても一気に「100」の最悪なシナリオを直線的に考えてしまうことは止めづらいので「100に至るまでのプロセスの解像度を上げる」という考え方をしています。
最悪のシナリオは何なのか。そうなったときに何が一番の懸念なのか。何がきっかけでそれが起こるのか。そこに至るプロセス、時間、登場人物など。漠然としている不安の解像度を上げていくと、そこに至るまでには多くのプロセスがあることに気づき「仮にそうなったとしても、いきなりそうはならない」と考えが行き着くことで、気持ちが落ち着く感覚があります。そういった不安は繰り返し訪れるものだと思うのですが、また現れても、その考え方を繰り返す術を持っているだけで、向き合い方が変わってくる印象があります。
「0と100の間を考える」ことが、最近とても腑に落ちていますし、この考え方を意識すると、いろいろと健やかになる感覚があります。ただ、これが正しいとまでは思いませんし、人によっても違いますし、環境によっても違いますし、自分自身もその時々によって違うと思います。今はこう考えていますが、これから向き合い方などが変わっていくかもしれません。
今も、その「間」なのだと思います。