育児・家事について思うこと

先日、長男が5歳の誕生日を迎えました。

その際にSNSに育児や家事について思うことを何となく書くつもりでいたら「これ1ブログくらい書けるな」という内容になってしまったので引用しながらブログにしたいと思います。広域でみれば育児や家事も〝家造り〟の一部だと捉えられると思うのです。(勝手な解釈)

現在、我が家は、夫婦と5歳の長男と2歳の次男という4人家族です。子供は元々好きでしたし、家事も親の躾や一人暮らしの経験上、苦手分野ではなかったのですが、子供や家族が出来てから捉え方や考え方に大きな変化がありました。

よく「イクメン」等と言われるのですが、謙遜の意味ではなく、全くそんなことはありません。むしろ育児は苦手分野だとさへ感じています。そもそもですが「イクメン」「協力的」「参加」等と夫を評価することに強い違和感を覚えます。それは〝家事や育児は女性がするもの〟と前提にしている言葉だと感じるからです。

我が家の場合、夫婦共にフルタイムで働いています。そうであれば〝共に稼ぎ、共に育て、共に家事し、共に歩き、共に探し、共に笑い、共に誓い、共に感じ、共に選び、共に泣き、共に背負い、共に抱き、共に迷い、共に築き、共に願い~〟が当然のスタンスだと思うわけです(コブクロ/永遠に共に 引用)

育児は向いていないと感じますが、子供は好きです。育児に限ったことではないですが、向いていることと、好きなことがイコールである人は少ないものだと感じています。しかし、好きなことは向いていないことを凌駕するものだと考えています。いずれ〝好きなことが向いていることだった〟と周囲に映るように息子達に向き合い続けたいと考えています。

家事についても感じることは多くなりました。家事は〝仕事〟だと解釈するようになりました。家事をして改善点を指摘され、ふてくさるということを耳にすることも多いのですが、家族=会社、家事=仕事と考えたときに、会社から仕事の改善点を指摘され、ふてくさる等ということはあり得ない話だと思うのです。家庭という会社の目的は〝家庭を円滑に回すこと〟だと思うのですが、その目的のために改善点を挙げることは必然的な流れであり、目的を達成するために必要不可欠な行為なはずです。

等々、色々と育児・家事に感じることは多いのですが、他の家族が輝かしくみえてしまうものです。隣の芝は青くみえるだけなのかもしれませんが、ある種のコンプレックスを抱えています。しかし、持論ですが、完璧に育児・家事をこなせる人はいないと思っています。親を悪くいうつもりは全くないのですが、自分の親もそうだったと思うのです。完璧でない人に育てられたはずなので、完璧に育児・家事がこなせないのは、当然だと自分に言い聞かせています。

これからも気張らず、前向きに、家族に向き合い、子供に向き合いながら育児・家事の試行錯誤を続けていきたいと思います。