住宅における想定の矛盾|落書きも想定内

先日、HOUSE-NNのクライアントをHOUSE-Nにご案内しました。

竣工が100%で劣化の一途を辿るような住宅はあまり造りたくなく、竣工時は80%で長い年月を掛け、変化をしながら100%に到達するような住宅が理想的だと思っています。

約1年ぶりに訪れたHOUSE-Nは、色々と手を加えられながら、上手に住みこなされ、私のその考えを体現してくれていました。

多くの落書きもあったのですが、汚いという印象はなく、アクセントのように感じました。意図的にそういったベース造りをしたつもりだったので、自身の考えは一つの思考として成り立つなと再確認することができました。

住宅は、人が生活することを前提とした建築です。

子供が落書きをしてしまうことも想定内なはずです。
ダイニングテーブル下が食べこぼしで汚れることも想定内なはずです。
傷や汚れがつくことも想定内なはずです。
生活感が出ることも想定内なはずです。

そのような想定や前提があるはずなのに、それを許容しない住宅が世の中には多すぎると感じます。 誤解を恐れずに言えば世の中の多くの住宅が〝綺麗過ぎる〟と感じるのです。人が生活する上で想定できる事柄が起こる度にショックを受けてしまう〝綺麗過ぎる〟空間構成や素材選びをしてしまうのは住宅の用途から考えて矛盾を感じるのです。

もっとラフで、ある種の荒さがあり、傷や汚れも味になるような素材選びをする必要があるように感じます。

人が生活をする上で起こる想定を許容できるような〝器の大きさ〟が住宅には必要なのではないのでしょうか。