無から有は生まれない|「才能・センス」の対象者

「才能・センス」という言葉があまり好きではありません。生まれ落ちた時点で全ての可能性が決定してしまう言葉な気がするからです。私は、残念ながらあまり才能もセンスもないと思っています。なので、それらを認めてしまうと自分が成功しない方程式が出来上がってしまうので、都合が悪いのです。

学生時代に美術の先生がこんなことを言っていました。

「無から有は生まれない」

その言葉を私は、こう解釈しています。

どんな人間でも何も無いところから何かを生み出すことはできない。多くのモノを見て、聞いて、体験し、引出を多く持っているからこそ何かを生み出すことができる。その引出の組み合わせが斬新な人が「才能・センス」という言葉の対象者になるのだと。

とはいえど、才能やセンスの有無はあるとは思います。思っていますが、それはスタートラインの違いと解釈しています。100がゴールだとすれば、才能やセンスがない人は1スタート、才能やセンスがある人は10スタートする違いなのかと。そこから99努力して100にもっていくか、90努力して100に持っていくのかの差でしかないと思うのです。

だから、どんな人でも才能やセンスのある人になれると思っています。如何に多くのモノを見て、聞いて、体験して、引出を増やすか。増やした引出を組み合わせる感性を養うか。行動して、試行錯誤して、研究するか。全ては「努力」することで補えることだと思うのです。

才能やセンスは〝有無〟ではなく〝磨くか磨かないか〟だと考えています。