要素の量の差

住宅は、人が生活することを前提とした建築です。ですので、生活感が出ることや、汚れや傷がつくことは当たり前におきます。それらを許容しないベースを設計してしまうことは、住宅らしくないと考えています。これは私が色々な所で語っている持論です。

そのような家造りを目指すにあたって〝ラフさ〟や〝荒さ〟か必要であり、その〝ラフさ〟や〝荒さ〟があることで器の大きな住宅になるとも同時に語っています。ただこれが私と受け手でイメージするものに乖離があるため誤解を招くことも多い。

そこで、そのアバウトな表現をロジカルに言語化してみようと考えました。結論としては〝要素の量の差〟という言語に行き着きました。

まだアバウトなので冒頭の写真を例にして説明します。この写真はHOUSE-Nの竣工写真なのですが、右側の棚は、良く見ると非常に散らかっています。当たり前です。ここは、本来、撮影する予定ではなかったので、他の部屋のモノをここに一時的に集めた避難スペースだったのですから。持論が成り立つかどうか実験的に撮影してもらった一枚です。

この写真を見て〝散らかっている〟と感じますか?私はあまり感じません。一つの空間として、一枚の写真として成り立っていると思います。それは空間の〝要素の量が多い〟からです。これが白い床に白い壁に白い天井に白い棚板だとしたら、一つの空間としても、一枚の写真としても成り立たないと思います。それは空間の〝要素の量が少ない〟からです。

もう少し噛み砕きます。

写真のように素材感や色味などがある空間を要素が50ある状態だと仮定します。そこにモノという要素が50加わったとしたら、空間とモノの要素の比率は50:50です。モノの要素の量は、空間の要素の量と同じとなります。

真っ白で色味も素材感もない空間を要素が1の状態だと仮定します。そこにモノという要素が50加わったとしたら、空間とモノの要素の比率は1:50です。モノの要素の量は空間の要素の量の50倍になります。

つまりは、ベースとなる空間に素材感や色味などの〝要素〟を予め多く設えることによって、モノや傷や汚れなどの要素が加わっても気になりにくく、生活感が出ても成り立つ器の大きな住宅になるという理論です。

少し長くなりましたが、これで私が言っている〝ラフさ〟や〝荒さ〟の意味合いです。誤解が少しでも解ければ幸いです。