半分理屈、半分感覚の設計

住宅設計をする上でテーマにしていることがあります。

それは「半分理屈、半分感覚の設計」をすることです。

何故、そのようなテーマを設けるのかというと〝住宅に豊かさを与えるのは感覚的な部分〟という持論があるからです。

経験上、理屈のみで設計した住宅は「凄い」と思われますが「面白い」と思われにくいと感じています。どのようなプロセスを経て、この空間構成に行きついたかを全て理屈で説明できてしまうことは凄いことなのです。しかし、裏を返せば「全て自分の頭の中で解決されてしまっている」と言えます。答えが〝自分越え〟しないのです。

感覚的なものは、理屈では説明しきれず、自分の思考の範疇にを超えている状態なので、答えが〝自分越え〟する気がします。提案する際の言語化も、理屈の言語化は「説明」という感じがしますが、感覚の言語化は「表現」のような気がします。「かれこれこうなりこうなった結果がこの形です」という言語化ではなくて、「この空間でこんなことしてこんな感覚になれたら素敵じゃないですか」という言語化なのかと。そのイメージをクライアントと共有でき、互いに納得できれば、そんな提案が理想的だと思っています。

「気がする」「感じがする」「理想的」という言葉で表現している通り、現状でそこまで感覚的に設計はできていないと感じています。学生時代から独立するまでの間の環境なのか、建築を「理屈で考える癖」みたいなものがついてしまっているのかもしれません。

有難いことに独立してから、連続的に5棟の住宅に携わらせて頂きました。その5棟の理屈と感覚の割合は、理屈8:感覚2くらいかと思います。勿論、それは、1つの答えとし正しいと自信を持って言えますが、その5棟が完成し、次のプロジェクトが始動するまでに空いた半年程の時間に俯瞰して自分の設計方法等を見つめ直した時、より感覚的になる必要があると感じ、「半分理屈、半分感覚の設計」というテーマを更に意識するようになりました。

より多くの豊かな住空間を作り、より多くの方々に豊かな生活を営んで頂く為に、常に自分を見つめ直し、原点回帰を繰り返しながら、これからも自身の設計方法等を模索し続けていきたいと思います。